うさぎが出産するブログ

米国ニューヨークの駐妻の妊活と出産を綴っていきます。

ニューヨーク生活のはじまり コロナ下の渡米

まずはニューヨーク生活のスタートから振り返ってみたいと思います。

 

私が渡米してきたのは2020年4月で、夫はその1年ほど前から既にニューヨークで働き始めていました。

1年のタイムラグを経て、さあ渡航しようという時にパンデミックが発生、ニューヨークは一挙にゴーストタウンと化しました。

2020年3月中旬ごろから、加速度的に状況が悪化して行ったのが思い出されます。

レストランや公共施設が閉鎖になり、タイムズスクエア無人になり……と現地から贈られてくるニュースや写真が日々衝撃的なものに。

 

日本でも、トイレットペーパーやマスクの買い占め・転売が横行したり、全国の学校が休校になったりと、3月になってからはかなり物々しい状況。

2月ごろからダイヤモンドプリンセス号の停泊も話題になっていたし、コロナ発祥の地とみられる中国に近いこともあって、警戒は早くからありました。

(2月には都内のところどころに「武漢加油」と当地を励ますメッセージが貼られていたのが懐かしいですね……その後、全世界が応援してる場合じゃなくなるとは)

私自身の勤務先も自宅待機に近い状態になり、その中での引っ越し準備となりました。

しかし、4月初旬に渡米する予定だったのが、なんやかんやで少し様子見をすることになります。

 

自分と夫の考えとしては、日米国境が封鎖になったらまずい!というのが一番の心配でした。

この頃、ヨーロッパから米国への外国人の入国はすでに規制されていました。

もし、離れ離れの状態でどちらかがコロナにかかったり、独り暮らしの状態で重症化したりしてしまったら、と思うと「早く合流するしかない!」と焦りが募ります。

自由な移動ができれば、一日二日かかっても、日本から駆け付けることは(理論的には)できるわけですが、鎖国になってしまったらそれも無理。

日米関係を考えると、国境封鎖はよほどのことがない限りないけれど、でも日本の状況がいつ悪化しないとも限らないし、というのが最大の懸念。

 

周囲の方からはたいへん心配していただき、「今ニューヨークに行くのはまずいんじゃ……」と度々言われました。そりゃそうですよね笑

現地ではセントラルパークに野戦病院ができたり、海軍の医療船が来たり、医療崩壊の瀬戸際で戦っていた状態だったので。

しかし、4月中旬に1日当たりの新規感染者数が減少に転じたのを見て、すかさず渡航することにしました。

きっとここからは好転する!と賭けに出たのと、離れ離れの間にお互いに何か起こったら、という心配を解消するためです。

「本当に行くんかいな……」と半ばひきつつも、サポートしてくださった方々には本当にお世話になりました。

 

いざ渡航という日、家を引き払って都心のホテルに泊まったのですが、こちらも見事にゴーストタウン化していました。

自宅近くはむしろ、出勤を控えた人々で賑わっているくらいだったのですが。

当日向かった成田空港ももちろんガラガラ、ほぼ無人でした。

機内も定員の10%にも満たない人しかいない状態です。

異常事態感は満載でしたが、行程上のトラブルもなく、体調を崩すこともなく、無事にニューヨークに到着。

機内のCAさんたちのご対応が、一人当たりの担当人数が少ないせいか、いつも以上にフルパワーだったのが印象的でした。

こんな時でもおもてなし精神を忘れないプロフェッショナル魂、すさまじい。

いつも入国審査で何十分も並ぶことになるJFK空港ですが、この日は秒で出てこられました。

成田空港と同様のガラガラ状態でした。

 

その後、到着ロビーへ迎えに来てくれた夫と合流して、市内の家へ。

荷物が大きかったのと、公共交通に乗るのが憚られたので、Lyftを利用しました。

誰も来てくれないかもと思いきや、意外とすんなり乗車できて安堵。

高速道路の混みやすいエリアや、マンハッタン市内の渋滞で時間がかかることがままある車移動ですが、この日はサクッと通過できました。

思えば、車の交通量はかなり少なかったものの、歩いている人はニュースの写真で見るより多かった気がします。

ステイホームでむしろ住宅エリアには人が多くなっていたのと、この頃は乗り物に乗るより歩いたほうが安全ということで、徒歩移動の人が増えていたからかもしれません。

タイムズスクエアのような観光地はもちろん無人でしたが、そういったインパクトの強い地点のほうがよく報道されていたんだなと思った次第です。

 

というわけで、ひとまず渡航はつつがなく終えたうえでニューヨーク生活が始まりました。

この頃は自主隔離で14日間の自宅待機が義務付けられていましたので、大人しく巣ごもり生活を始めました。

日本と東海岸の時差はいつも適応にかなり時間がかかるので、ステイホーム生活はゆっくりの適応で良かったことが、唯一良い点だったかもしれません。